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代表棟梁の家づくりに
かける信念

代表棟梁の家づくりにかける信念

お客様に、家を建てた先の

ご提供し続けるための

10の信念

  • 1木造在来工法の注文住宅のみに特化する。
    元請のみ。
    企画・設計・施工・アフターを一貫してやりたい!
  • 2分譲住宅や下請け仕事はしない。
    お客様と直接話をして仕事がしたい。
  • 3会社から一時間圏内に限定させていただきます。
    (アフターで緊急時に即日対応が基本の考え方です。)
  • 4嘘はつかない、言い訳もしない、正直に、誠実に、
    「自分の家だったら」がキーワード!
  • 5職人さんの顔が見える家づくりがしたい。

    (心を込めてつくっても、評価してもらえなかった大工時代…お客様と職人が一緒になって世界に一つの一棟をつくりあげたい。職人チームとパートナー会を運営しています。)

  • 6フランチャイズシステムには入らない。
    つくるのはたった1つ!
    木造在来工法の自然素材の家のみ!
  • 7 設計に全力投球!立派な柱・梁・桁も間取りが悪かったら意味なし!家づくりとは暮らしをつくること。
      1. ストレスない家事動線計画
      2. 既存家具配置計画
      1. 入れるものを決めた上での収納計画
      2. 人間にとってなくてはならない光と風の計画
        (夏・冬の採光計画、夏の通風計画。夏は通風が良いと涼しく感じます)
  • 8屈強な軸組。自然乾燥をさせた杉と桧を軸組に!
    昔ながらの乾燥方法は譲れない!
  • 9メンテナンスに余計な費用がかからない素材選択と原則を守った工法(同じ素材でも良し悪しあります)
  • 10建ててからが本当のお付き合い(私たちはなにかあったら必ず走ります!)

家づくりに嘘はつかない、
言い訳はしない。

お客様の期待に応えるために、ずっと守り続けていることです。
なぜこのように考えるようになったのか。
それをご説明するために、私の職人としての歩みを少しご紹介します。

少年時代

大工さんの中で育った少年時代

父が大工棟梁だった私は、小さな頃から多くの職人さんに囲まれて育ちました。家の中は常に木くずだらけ。父が帰ってくると木の屑と木の香りがかっこよかった

仕事の手伝いもさせられ、そのような環境で過ごす中で、父のする仕事、他の職人さんのする仕事に対し、幼いながらも「おもしろそう」と感じ始めていました。

そして私は高校を卒業した19歳の時に父の仕事を継ぐ決心をしたのでした。

大工さんの中で育った少年時代
修行時代

甘やかしの一切ない修行時代

父は非常に厳しい人。
今まで会った人の中で一番怖い人だと、今でも言える程厳しい人で、そんな父の下で10年程働きました。
当初3年間は朝、昼、晩、常に怒られる生活。息子だからといって、一切の甘やかしはありませんでした
いや、むしろ、血が繋がっていたからこそ、厳しさは倍増していたかもしれません。

昼ごはん中でさえ修行の一貫

厳しい午前の作業を終え、待ちに待った昼ごはん。
真っ先に箸をつけたいところですが、「下っ端の半端職人は一番最後に食え」と怒られ、 少ない休憩時間の中で皆の中で最後に食べ始め、急いで飲むようにしてご飯を流し込んでいた事は、今でも忘れられません(笑)
この出来事一つ、先輩職人に対する礼儀と、大工の親方は周りを見る心が大切なんだと教えてくれたんだと今になって感じます。

甘やかしの一切ない修行時代

一所懸命は、通じるもの。

大工修業の初日、「お前は何も出来ないから掃除だけしろ」と親方の命令が。家の父親と現場の父親の代わりようにびっくり。あまりの迫力にこれほど必死に掃除をやったことはないぐらいやりました。
ただひたすら掃除。心中「どうしてこんなことを俺はやっているんだろう」が本音でした。

しかし、朝から夕方まで私の掃除姿を見ていたお施主様から「兄ちゃんは仕事は出来んけど、掃除をやらせたら上手だな!」と褒めていただいたのです。

私にはとても嬉しい言葉でした。どんなことでも一所懸命行えば必ず見ていてくれる人がいる。そして認めてくれる。それを知った初日でした。
それから続く厳しい修業はまさに阿修羅のようでした。

「高校まで出てこんなこともわからんのか」「目が開いてるのに見えんのか」「良いか悪いか感じないのか」

教えを乞う時の姿勢一つ、道具の手渡し方一つ、事あるごとに厳しい叱責。お施主様が「そこまでやらないくてもいいのに」と親方に言ってた光景は鮮明に覚えています。仲間の大工さんたちも「あの恐ろしいオヤジによくついてるな。えらいぞ」なんて言われた事も。

大工始めて2、3年経った頃の出来事でした。
和室の鴨居をいれていた時、親方である父がいきなりやってきて「心ない仕事をするな!やる気がないなら帰れ!」と言うやいなや、入れたばかりの鴨居を「焚き物だ!」と外に放り投げられたことも。確かにその時は他ごとを考えていたから仕事も甘く、親方の激怒は最もですね。

一所懸命は、通じるもの。

父の家づくりへの思い ー心ある仕事ー

「建前までやって、いいと思ったらお金払ってくれればいい。」とお施主様に話す父。建前当日、お施主様が一本の柱の節が多いことを親方に呟いた瞬間、つかつかと建物まで行ったと思いきや鳶や私たちに「全部壊せ!やり直す!」と言うではありませんか。それを聞いたお施主様「だ、大丈夫です!このままでいいです。壊さないでください!!」と。

言い訳は一切なし。それは職人の誇り。これが本当の職人道だと今でも思っています。

また、こんなエピソードもありました。
昔は床に養生シート(汚れないようにする為のシート)でなく毛布を敷いていたのですが父はその毛布の上では必ずセッタを履くようにしていました。父の中のルールです。

しかし、建築現場を見に来たお施主様が、革靴・ハイヒールで上がってきたのを見て大激怒。
「自分の家を土足で上がってくるとはなんだ!」と。
お施主様は慌てて靴を脱ぎ「あがってもいいでしょうか」と。
「よし、それならいい」と笑っていました。

「自分の家だったらこうじゃないといけないだろう」という依頼主であるお施主様にまで強くいう父の、家づくりに対する想いには計り知れないものがありました。

父の家づくりへの思い ー心ある仕事ー

体をはって、家を守る父の姿。

そんな父とのエピソードは数えきれない程ありましたが、特に印象的だったのが台風が予報されていた夜のこと。建築中の家に近づく、台風の猛威。
父は、土壁が壊れてしまう、風で建物が危ない・・・!
と言って家を飛び出し、一晩中その土壁を丸太で支えていたのでした。

「この家はお施主さんの家であるが、工事中は俺の家でもあるんだ!」と言って。
・・・その時に気づいたのでした。

父は、誰よりも自分の心を注いだ家を大切にしているのだと。
家を愛する気持ちはお施主様と同等、いやそれ以上だったかもしれません。

体をはって、家を守る父の姿。

そんな父に認められるということ。

家づくりをこよなく愛し、家に情熱を注ぐ父でしたが、ある建築現場の時は1度も現場を見に来ることがありませんでした。50歳前後のお施主様で、私は23、4歳の坊主。お施主様が心配そうに私を見ているのがよくわかりました。

しかし、現場も大詰め、和室の化粧物を削っている時でした。
「兄ちゃんのおかげでいい家ができそうだ!ありがとう!」
と言い、現場が始まったばかりの頃は心配そうにしていたお施主様が私に声をかけてくださったのです。

と、同時に、包みを手渡してくれたのです。

お客様からの頂きものは、親方に渡す決まりになっていたので、報告と共に包みを親方に渡そうとした所、
「いいぞ、とっておけ」と一言。

その後に親方が竣工間際の現場に来て、和室の仕上がりをじっと見て、鴨居を触りながら「まぁまぁだな」と言ってくれました。後で職人さんに「まぁまぁだな」と言われたと言ったら「それは褒められたぞ」と。

その時初めて、親方に認められるようになったと感じました。私に任せてくれた初めての現場。初めてお施主様に頂いた、お礼の包み。

本当に嬉しかった。

仕事で認められるということがこれほど嬉しいことだとは思ってもみませんでした。

そんな父に認められるということ。
そんな父に認められるということ。
下請け
時代

時代の流れの変化

親方である父に認められるようになり、視野が少しずつ広くなってきたと共に時代の流れを強く感じるようにもなりました。
親方は「これからは元請の仕事が少なくなってくる。下請けの仕事もやっていかないと」と言って、私が今後仕事をしやすいようにと手回しをしていてくれました。

しかし、いざ下請けの仕事をしてみると、その仕事は楽なものではありませんでした。

決して仕事の内容がハードだったわけではありません。精神的に辛いことが多かったのです。----手抜きを強要されました。

「何、こんなに丁寧にやっているんだ!手を抜け!やり直せ!材料がもったいないだろ!」怒鳴られました。それが私にとっては情けなくて情けなくて。

ある時はどうしようもない木をはりあわせて作った野暮ったい木を使っての建築。
おまけに大雨で材も人間もずぶ濡れで建前。それでもやれという現場監督。

でも下請けの私にそれを強く言う資格は皆無。

その事実には目を覆いたくなる程でした。家が建つ前から傷みすぎていたその家は、もちろん、今、残ってはいません。
下請けの仕事は、私が親方から学んだ家に対する愛情、そして妥協のない家づくりの手法とは全く正反対のものでした
でも、時代の流れは、そうなっていたのです。

時代の流れの変化
脱下請け
時代

脱、下請け。

父がそんな仕事をしたかったわけではないことはもちろんわかっていました。父が先を見据え、これからの為にと、下請けの仕事をしていた事も、よくわかっていました。

しかし私はどうしても、下請けの仕事から脱したかった。

そしてそんな想いを抱くようになっていたある時、父が体調を崩しました。
そして以前のように仕事が出来なくなった時に「親方が出来ないなら、他に頼むから」とおっしゃったお客様がみえました。これでは建てた者の責任が取れないんじゃないか。 この気持ちが私の後押しになったのです。

私が不在の時にでも代わりに責任をとってくれる者がいなければ、長くお客様の家を守っていけない、と法人組織にする決意に至りました。

そして脱、下請け。父は好きなようにやれと言いました。

だから私は下請けの依頼に対し、見積を今までの2倍以上で提出をしました。もう下請け仕事はしない、という意志の表れです。それを見た父は「俺の顔に泥を塗るな」と激怒しました。

しかし、私は強く、下請けの仕事を拒否し続けました。適当な、その場限りの家づくりをもう二度としたくなかったのです。

それは、父といる時に培った私の家づくりの思いとは反していたから。お施主様に本当のことを言えない仕事はしたくない一心でした。私は、例え時代の流れに逆らおうとも、人に馬鹿だと言われようとも、元請1本でやっていくことを強く決意しました。

脱下請け
時代脱、下請け。
脱下請け
時代脱、下請け。
元請け
時代

元請けとしてのスタート

もちろん、下請けの仕事も一切なくなったわけですから、始めは全く仕事がありませんでした。
小さな仕事を頼まれたらちょこちょこ、と単発でやって、稼いでいました。

小さな仕事でも地道に地道にコツコツやっていると、自然と「私の家も見てもらえる?」と声をかけてくださるようになりました。
そうして、少しずつお仕事を頂けるようになってきました。そうすると今度は、新築の相談もいただくようになってきました。

私は昔から職人ですから、上手な営業もできませんし、仕事もとれません。
しかし、そんな私の仕事ぶりを見て相談をしてくださることは本当に嬉しいことでありました。

師匠との出会い

私の仕事への想いは父の影響が大きかったけれど私に大工の真髄を教えてくれたのは父だけではありませんでした。会社設立直前に出会いがあった師匠。

当時28歳でした。

独立した当初、俺は大工だ!元請しかやらないぞ!なんて肩をいからせ闊歩していた私でしたが、大工組合の青年部主催経営セミナーなるものに参加せざるを得なくなり、大工に経営があるか?、なんて気持ちでラスト1時間だけおればええと遅刻…

そんな私に『うちの協力業者会じゃ遅刻した奴は入れないんだよ。だってそうじゃねぇか、前から決まってる約束を守れねぇような奴に仕事が出来る訳ねぇだろ!』と。それが師匠との出逢いです。

しばらくすると『どうしてあんたたち大工が世間から認められねぇか、わかるかい?俺のつくった家は100年持つとか口では言うくせに10年保証しますって紙にも書けねぇんだから、話しになんないよ。書く勇気がねぇんだろ?だからあんたら大工はダメなんだよ』 といわれ、まさに自分のことだと固まった私でした。

『住まいづくりは心のサービス。形がないものを任せてくれる信用業』

ここで大工仕事の形しか見えてない自分を発見したのでした。
セミナーが終わった後すぐさま一度訪問させてください!とお願いし、埼玉訪問。名古屋でこんな工務店になる!と誓いを立てた28歳の春。未だ足元にも及びませんが、精神だけは負けないです!といつも思っています。

師匠との出会い
40歳を
越えて

波乱、乗り越え

40歳を超え猛烈に頑張ろうとスタート。
でもそれは自分中心の考えだったのでしょうね。
成長どころか悪くなる。やってもやっても先が見えない。

それはストレスという形で忍び寄り、自信もなくなり、頑張るという言葉が受け入れられなくなりました。

元気だった母が突然他界。そして私が病で倒れ長期療養。その間に父が他界。父の一周忌法要が終わった後に、和尚さんから「植山さん、仕事やってくれない?」といきなり言われました。仕事の話は一切していなかった私。
素の自分で話していました。和尚さんとの出逢いは大きかった。
私はありのままでいいんだーーーと心底思えた瞬間。

両親が運んでくれた縁だったのかもしれませんね。

ありのままでいい、頑張らないけどあきらめないと決めた時から、すごく楽になり無理しなくなった私です。人間は心が大切ですね。親方から「心技体は心が先。心がやましいと技も体もつくれない」と言われていたことが、ようやくわかりました。

波乱、乗り越え
現在

そして現在のうえやま建設は…

こうして、現在うえやま建設では元気な社員が活き活きと働いています。本当に本当に、活き活きと。
そして、そんな社員と共に、活き活きした職人さんが現場でしっかりと仕事をしてくれます。

私たちは、そんな職人さんのことを「下請け」「協力業者」と言わずパートナーと呼んでいます。お互い切磋琢磨する仲間ですから。

私達がどんな会社であるかは、いくら私たちが必死に伝えようとしてもいいことばかりを言ってると思われますよね(笑)
だから、是非、建てて何年か経ったオーナー様と話をしてみてください。また、着工中の現場を見てください。
実際に家をつくっている職人さんの人となりを見てください。うえやま建設の社員に会ってみてください

家づくりは最終的にそれに携わる人達の心1つで決まると思います。

そして現在のうえやま建設は…

最後に、うえやま建設の代表として

いい家は、いい「想い」から生まれる。だから私達の「想い」を見て、感じて、知ってほしい。

数々のことで悩み、成長してきた証は社員、そしてOBのお客様、
そして実際に建てさせて頂いた家そのものを見ていただければ一目瞭然です。

言い訳は、しない。
これがうえやま建設の全てです。

うえやま建設

家づくりのご相談やご質問は
うえやま建設へお気軽にお尋ねください。

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