うえやま建設 植山ノブオが建築や日々の出逢いを語ります

講習途上  

愛知県の耐震診断士の資格は取得済みですが、その人たちを対象に名古屋市から連絡。
名古屋市の講習も受けてほしいと。
場所は名古屋城の南西、丸の内。
車を官庁街に止め徒歩で向かいますが、途中愛知県護国神社かある。

ここ少し怖い空気感が漂います。

大鳥居は何と銅板巻込み。
昔は愛知神社と言ったらしく、履歴は以下(護国神社HPより)

明治2年5月尾張藩主徳川慶勝侯が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、その後嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております。 神社名は、明治8年「招魂社」、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称しましたが、同30年現社名に復称されました。 鎮座地は、大正7年現在の名古屋市北区名城公園、昭和10年に現社地に御遷座されました。 同20年3月19日の空襲で御社殿は炎上しましたが、同33年11月本殿・拝殿等復興、同57年10月社務所竣工、平成10年3月神門・舞殿・廻廊が竣工して、戦災復興が完了されました。

社殿東には数々の石碑がありました。


戊辰戦争、西南の役、日清・日露戦争、そして太平洋戦争にまつわる石碑たち・・・
こんなものもありました。

護国神社というぐらいなので、当時関わった方たちの思いで建てられたものもたくさんある。
多くの人が亡くなっている。
戦争はいけません。
神社の西には桜華会館なるものも。一階には喫茶「さくら」という店も。
桜華は桜花と連想され、太平洋戦争末期の特攻機。
何ともピリピリした雰囲気が漂って、空気感が張り詰めた感じです。
訪れる人もまばら。
少し怖い感じがしました。

名古屋の官庁街のど真ん中にこういうものが残っている。たまに訪れて自分を見つめ直すのもいい機会だと思います。


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