うえやま建設 植山ノブオが建築や日々の出逢いを語ります

連子格子

年末のここ数年は、近距離でぶらりと家族で行くことが多くなっています。
年末年始は全く出かけない家ですが、子供達も自立してなかなか揃うこともなくなった今はちょっとした楽しみの時間でもあります。
元々一人旅が好きな人。
1人だと気楽だもん。
タイトルとは全く関係ないことから綴ります。ごめんよ。
一人旅の原点は中学生の時。親父の実家まで電車と歩きで行きました。
静岡は今では浜松市となっていますが、昔は磐田郡佐久間町。

浜松から天竜川沿いにずっと北に上がった三遠地方と呼ばれています。名鉄神宮前から豊橋まで行き、豊橋から国鉄飯田線に乗り換え。この時に駅弁というものを初めて見ました。おふくろからもらった小遣いで駅弁を買いましたが、これが美味しいったら忘れることができません。
飯田線の中部天竜という駅でおります。
そこから歩いたのですが、天竜川の激流の上に渡る吊り橋を歩きました。
これは怖かった。吊り橋はまさに吊り橋。グラグラ。下は凄い激流。昔は床は木だったと記憶しています。ネットから失敬した中部橋。

好奇心で渡り、歩いて着いた時はぐったりでした。
叔父さん、叔母さんから「迎えに行ったのに!よく歩いたね!」と目を丸くされたことを思い出します。中学生の自分には大冒険でしたねぇ。でも達成感がすごくあったな。
次は二十歳になったばかりの正月。
彼女もおらんし、幕末戦国にはまっていた頃。松山千春、渡辺真知子にもはまっていましたが(^ ^)
京都一人歩き。
幕末維新の名所伏見の寺田屋に泊まり、そこから徒歩で新撰組、勤皇の志士の足跡を辿る旅。

ここに連泊。一泊確か6000円話ほどで朝ごはん付き。
残念ながら坂本龍馬が定宿としていた部屋には宿泊できませんでしたが、その隣の部屋。江戸期からずっとある建物なので、そりゃ凄い雰囲気ですよ。どれだけの武士がここに宿泊したことか、思いにふけったものです。
ここから歩く歩く。岩倉具視隠棲宅を目指して途中土佐藩邸、新撰組の屯所、池田屋、油小路、霊山歴史館などを闊歩。

とにかく歩き回りました。
京都の裏小路もたくさん見て回りました。
古来からの日本の木造建築物の美しさにも惚れ惚れしたことを思い出します。特に連子格子の妙。

これもネットから失敬しましたが、格子を通しての陰影に感動しまくっていたことを思い出します。
朝日が射す格子の影、夕日が射す格子の影、全て違ってるし、格子の厚みと隙間のサイズの違いで
全て違うように見える。日本の建物の美しさがこういう所に集約されている気がします。
幕末史跡と連子格子の二つが脳裏に焼きついていますが、可能ならばもう一度一人旅で京都の同じ道を歩きたい。
もちろん幕末の勤皇の志士気取りでね。
二十歳になったということもあり、寺田屋から京の夜に繰り出したことも思い出の一つ。
先斗町に行ってみたくて、ぶらりと行きましたが、「一見さんお断り」オンリー。
なおかつ、恐ろし高い。日当3000円ほどの大工修行の身ではとても行けません。
どこかないのかよ〜北にどんどん歩いて見つかったのが餃子の王将。
先斗町の外れにあったけど、今もあるのかな?
ここでご飯。まだアルコールの飲み方がわかってない時なので、ビール二本で気分悪くなってフラフラで戻ったこともすごく覚えています。格好つけて!が当時の同世代の十八番。格好つけても格好悪くなってしまう飲み方はいかんな(笑)
他にも色々と幕末の史跡巡りをして三泊四日で帰宅。
高速道路代金がもったいないから、名四国道をかっ飛ばしです。当時の自分を思い出すと今でも変わっておらんなぁ・・・と思っちやいます。子供心を忘れたくない。いつもそう思っています。
さて話は今に戻って・・・今京都にいます。
渋滞にハマりながらのろのろで到着すると・・・錦市場という所に。
ここも人まるけでノロノロ歩き。
流石にへたりましたぞ。
まぁ仕事の一切を忘れて家族と過ごす時間だからね、それもまたよし。
今日は椿大社にてご祈祷です。雨の一日だよ。

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