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父が他界してもうじき5ヶ月になります。日々仏前に手を合わせる度に、仕事で現場に出る度に在りし日の思い出が脳裏をよぎります。
とにかく厳しかった。小中高校生時代も厳しかったけど、弟子入りしてからは本当に厳しかった。私がお会いした大工棟梁の中で、厳しさ一番でしたね。他の棟梁の所にお手伝い行くと、楽だったものなぁ。
その一例をご紹介しますね。
◇まず朝は親方より早く出る。出たら道具を広げて現場周りの掃除。焚き火なんてあたってたら『貴様何様だ!』親方来るまで掃除し続ける。さて仕事・・・・・親方のやることを見てると『お前は案山子か!先を見てないから突っ立っとる。俺が何をしようとしているかを感じて、道具と材料持って来い!』ですよ。右も左もわからんのに、わかるはずないじゃん!と思ったけど、そんなこと言ったら『辞めろ!』でお仕舞いですわ。なので、必死になって次何がいる、その次は、またその次は・・・と頭の中がフル回転。間違ったものを持っていくと『バカ!高校で何を教えてもらっとる!』なんて言われるから、精神的にきつかったです。10時と3時の一服、職人さんたちが手をつけてからやっとお茶が飲める。そして一番先に終わって仕事にそそくさと戻る。昼ご飯も同じ。職人さんたちが箸をつけたら頂き、先に食べ終える。食べ終わったら、即座に道具手入れ。一服なんかしとれません。 |

大工見習い初日にいきなり言われたこと『役に立たん半端職人がお前。寝床があって飯がついた上で教えてもらっとる。授業料逆に払え。間に合わん奴に一服はない。わかったか!』とれたこと『役に立たん半端職人がお前。寝床があって飯がついた上で教えてもらっとる。授業料逆に払え。間に合わん奴に一服はない。わかったか!』と言われていたからね。だから休憩らしい休憩はありません。働きづめ。遊び疲れで仕事に身が入っていない日がありました。『こんな心のはいっとらん仕事しやがって!』と入れたばかりの鴨居を引きちぎり投げ捨てられました。隣には施主さんが・・・・直立不動で首を垂れる自分。『どうしてここまでやられなきゃいかんのか・・・・・』差し金を跨いで鑿を投げられたこともありました。材料を粗末に扱い、鋸で頭をぶっ叩かれたこともありました。初めての上棟でいきなり屋根まで乗せられ『ばかやろう!何だそのへっぴり腰は!さっさと歩け!』と下から鬼の形相で命令する親方。教えてやろうという親心で合い番(二人で一つの墨をつけること)で墨付けさせてもらった時は、ことある毎に『こんなこともわからんのか?高校まで出て。俺は尋常高等小学校卒だ』と。嫌味たっぷりの日々は私を発奮させてくれたかもしれない。 |
◇設計士の仕事で墨付け刻みして建てたことがあります。玄関周りの納めが悪いらしく、図面の段階で『これは雨漏りするから設計変えてくれ』と親方が言う。設計士『いいからやってくれ』建てる直前にもう一度同じことを。『いいからやってくれ』建てて瓦屋根を葺く前に実際に現場で水を流して漏れる事実を設計士に見せる。すると設計士、隣に住んでいる施主さんに『大工が間違えたから直させます』と言った。親方は一切何も言わなかった。その時は何故かわからなかった。私は怒り心頭!体中に怒りを出して設計士を睨んでいたかも?結局、大工が悪者になって、最終の手間賃がいただけなかった。その件はそれから一切言わなかった。その家は今でも立派に建っています。刻みやら造作も手間のかかる仕掛けを全てやっていた。親方が私に教えてやろうとしてくれてたんでしょうね。 |

何故言わなかったのか?今になってわかる気がします。『建てた家を見て後でいいからお金は払ってくれ』『建てて気に入らなかったら、全部壊す。金はいらん』と幾度となく聞きました。その魂こそが家を造る者の原点だと感じます。言い訳なし、ごまかしもウソもなし!黙って俺を信じてくれ!良心に誓って立派な家をつくることを誓います!これが父の姿勢でした。この魂は私も受け継いでいます。半端じゃない厳しい修業を与えてくれたのは、この魂の継承。
父は私が見た棟梁で一番です。巨人の星じゃないけど『俺の父ちゃんは日本一の大工だ』と今でも胸を張れます。こんな幸せはありません。
でも本当に厳しかった。夜、一人で何度も泣いたもんなぁ。 |
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